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青森地方裁判所 昭和33年(わ)102号 判決

被告人 野口正行

主文

被告人を懲役六月に処する。

但し二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は日本人であるが、昭和二七年三月上旬から同二八年一〇月中旬までの間にソヴイエト社会主義共和国連邦におもむく意図を以て有効な旅券に出国の証印を受けないで本邦から出国したものである。

(証拠の標目)(略)

(被告人及び各弁護人の主張に対する判断)

第一、憲法違反の主張について。

被告人及び弁護人は、出入国管理令六〇条二項は憲法前文ならびに憲法二二条に違反し無効であると主張する。なるほど憲法二二条は日本国民に対し外国に移住する自由を保障しているが、この自由は無制限に許容されるものではなく公共の福祉に反しないという制限に服すべきものである。そして出入国管理令六〇条二項は同令一条に規定するように出入国の公正な管理を行うという公共の福祉のために有効な旅券に出国の証印を受けないで出国することを禁止したのであるから、この結果間接には外国移住の自由を制限することになつても(旅券法一三条参照)公共の福祉のため已むを得ざる制限であつて、この故に憲法二二条にも憲法前文にも違反するものと解すべきではない。なお被告人は、出入国管理令六〇条二項は憲法九条、一一条、一七条にも違反するかの如く主張するが、その理由のないことは右憲法の各条文の明文に照し既に明白である。

第二、公訴の時効完成の主張について。

寺井弁護人は、仮りに公訴事実のとおり被告人が昭和二七年三月上旬から同二八年一〇月中旬までの間に旅券に出国の証印を受けないで出国したとしても、そのときから三年以上を経過し本件犯罪の公訴時効が完成したと主張する。なるほど出入国管理令六〇条二項違反の犯罪は出国と同時に完成し、このときから公訴の時効が進行することは所論のとおりであるが、被告人が少くも昭和二八年一〇月中旬から同三三年七月一三日京都府舞鶴港に上陸帰国するまで日本国外に居住(単なる旅行ではない)していたことは前記証拠の標目記載の証拠によつて明白であるから、かような場合には刑訴法二五五条一項によつて右国外にいる期間公訴の時効の進行は停止し、被告人が帰国した昭和三三年七月一三日から進行を始めたものと解すべきである。そして同年七月二五日本件公訴の提起が為されたのであるから本件犯罪の公訴時効は未だ完成しないのである。

第三、訴因不特定の主張について。

落合特別弁護人は、本件公訴事実には「被告人が昭和二七年三月上旬頃から翌二八年一〇月中旬頃までの間に……出国した」とあるだけで、いつどこからどのような方法で出国したかを明示していないのであるから、右公訴事実の記載によつて訴因を明示したということができず本件公訴は棄却すべきものであると主張する。なるほど本件公訴事実には被告人が出国した確定年月日、特定の場所、特定の方法を明示していないことは所論のとおりであり、審理の結果に徴してもこれを確認するに足る証拠が存しないのであるが被告人が出入国管理令の施行された昭和二六年一一月一日以降――本件においては昭和二七年三月中旬から同二八年一〇月中旬までの間に――本邦外の地域におもむく意図を以て本邦から出国した事実が明らかにされた以上同令六〇条二項違反の犯罪事実の訴因を明示したものと解すべきで、公訴事実に所論の諸点を明示しないからといつて直ちに以て公訴提起の手続がその規定に違反し無効と断定することはできない。なお出入国管理令六〇条二項違反の犯罪は、行為者が日本人であること及び本邦から出国することをも構成要件とするにかかわらず本件公訴事実にはこの点を明白にしていないのであるが、被告人が日本人であることは起訴状記載の被告人の本籍によつても明らかで、公訴事実はこれを前提として記載したのであるから格別にこの点の記載を缺いたものというべきではない。また、被告人が本邦から出国したことは公訴事実全般から推認し得るのであるから、これらの点でもまた訴因を明示しないということはできない。

第四、いわゆる期待可能性ないしは正当行為の主張について。

被告人及び各弁護人は、当時朝鮮における動乱が第三次世界大戦に発展する危険があつたので、被告人は日本民主戦線の実状を紹介し世界人民と交流することによつて大戦を防止する目的で出国したのである。ところが、日本国政府は昭和二六、二七、二八年当時ソ連、中共向けの旅券の発給を不当にも事実上停止していたのであるから仮りに被告人から旅券の交付を請求したとしても拒否されたことは極めて明白である。かような事情のもとにおいては被告人に対し本件犯行を為さないことを期待することは不可能であつたし、前記出国の目的に照し被告人の本件出国は正当行為である。いずれの点からしても被告人は無罪であると主張する。しかしながら、仮りに右主張どおりの事実であるとしても、被告人の社会的地位その他諸般の事情に照せば被告人の出国が旅券の交付も受けないで出国しなければならない程公共の福祉のため緊急かつ必要なことであつたとは認め難いのであつて、正規の手続を経て旅券の交付を受けて出国すべきであつたと期待しても少しも被告人に酷に失するものではないし、いわんや被告人の出国が正当行為であると解することはできない。仮りにまた被告人が、自身の出国が世界平和の為めに避けることができないものと信じたものとしてもさように信ずるについて重大な過失があつたと解すべきであるからこの故にまたいわゆる期待可能性なしとして被告人の責任を排除すべきものでもない。

以上の次第で右主張はいずれも採用することができない。

(法令の適用)

判示被告人の所為は、出入国管理令七一条、六〇条二項に該当するので所定刑中懲役刑を選択して被告人を懲役六月に処し、刑法二五条一項一号を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文を適用して被告人の負担とする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤勝雄 鍬田日出夫 谷口茂高)

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